昭和時代の何気ない日常を知りたい!残したい!
そんな思いから、昭和時代を過ごしてきた方の体験談エピソードを紹介していきます。
「あ~、そんなことあったな」と共感したり、「そんな時代もあったのか!」と驚いたり、この企画が昭和という時代を身近に感じ、それぞれの思いで楽しむきっかけになれば幸いです。
今回は、学校の体育についてのエピソードを紹介します。
"昔は、小学校の体育の時間の服装といえば、上は体操服に下はブルマでした。
ブルマもいわゆるちょうちんブルマと言われていたものです。
何も当時は違和感もなく、普通に履いていました。色は紺色でした。
しかし、今は小学校では体育の時に上は体操服は変わりませんが、下はブルマではなく、ズボンを履いています。長さは膝よりちょっと上の丈のものです。正直うらやましいです。
今となっては、ブルマを当時履いていたことが、信じられません。"
(昭和52年生まれ 女性)
※あくまでも個人のエピソードです。昭和時代を過ごしたすべての人に当てはまるとは限りません。
今回のエピソードはいかがでしたか?
昭和時代を彷彿とさせる光景のひとつとして、体操服のブルマが思い浮かぶ方は多いのではないでしょうか。
そんなブルマの歴史について、少し紹介してみたいと思います。
ブルマという存在が体操着として採用されたのは1900年代の始め頃だと言われています。
ブルマが採用されたばかりの頃は、膝下の丈でふっくらとしたデザインでゆとりのあるものでしたが、だんだんと短くなり、ちょうちんブルマ(かぼちゃパンツの形状)と呼ばれるものになりました。
そのような変遷の末に、動き次第では下着が見えてしまうような密着型ブルマと呼ばれる形状へと変化したのです。
体に密着して体型が出てしまうことに加えて、布の面積が少ない密着型ブルマに『恥ずかしい』と感じる人も少なくはなかったようですが、このブルマが体操着として普及されていた期間はなんと30年間。
密着型ブルマが終わりを迎えた要因の一説として、「セクハラ」という言葉が1989年に流行語大賞となったこと、ブルマの大量盗難事件が起きたことなどが挙げられています。
1990年代には、現在多く見られるような「膝にかからない丈のズボン」や「ジャージのような長ズボン」が体操服のズボンとして採用されるようになったといいます。
エピソードの語り手の方も『今となっては、ブルマを当時履いていたことが、信じられません。』仰っていますが、体操着としてブルマを履いたことのない人にとっては、ブルマという特殊な存在が当たり前のように普及していた時代はなかなか信じがたいですね。